X

ウト「……」私『まったくもう!何なの・・ブツブツ』ウト「……」→震災発生。私はウトのこと、全然わかってなかった…

隣家別居のウト(故人)は、いわゆる空気な人だった。

孫には興味を持ってたみたいで

子守はたまに引き受けてくれたが、
それ以外は本当に空気で、生前の記憶といったら、

年末年始にただ黙々と年賀状の山を作り出しては

「郵便局」と出かけてくいくか、
私の子にしつこく布団蒸しごっこをしかけては私を切れさせてた事くらい。

でも今回の震災で、その印象ががらっと変わった。

震災の時にあわてて探した防災避難用具一式は、
ウトが頻繁に手を入れて常にベストな状態に保っててくれたもの。
ウトが亡くなるちょっと前に
話題になった保温シートとか、
高低差の記された避難専用地図も入ってた。
義実家のタンスや納戸には、
不器用ながらウトの手で耐震対策が施されてたおかげで、
トメは昼寝中に寝室のタンスで押しつぶされることもなく、
飛び散って砕けた食器類で怪我することもなく、無傷で済んだ。
たまたま義実家にいた私と息子も同様。

そして、地震後にすぐ逃げなきゃ逃げなきゃ!と
言い出したのは、実は幼稚園児の息子。
あとで話を聞いたら、ウトの布団蒸しごっこは

津波が襲ってくるごっこ?だったみたい。
息子が夕方とかにうたた寝してると敷物をゆさゆさ揺すって、
津波が来るぞー逃げろーって布団で息子を飲み込む遊びだったらしい。
地震があった後、息子はこれを思い出したらしい。
息子の逃げなきゃ!の声で我に返った
私とトメは、防災用具一式と息子を背負って、
高台まで大急ぎで逃げた。
結局家こそ流されはしなかったけど、戻ることはできなくて、
旦那が海外赴任中の私達は本当に不安な数日だった。

そんな私たちに手を差し伸べてくれたのは、
生前ウトが年賀状で交流を続けてた
見知らぬ土地のウトの旧友、知人たち。
連絡を取り合って、私たちを県外の
仮住まいに落ち着かせてくれて、
旦那にも連絡を取ってくれてた。
海水でだめになったアルバムの代わりにと、
年賀状や季節の折々にウトが送ってた
息子の成長記録ともいえる家族写真入りのハガキもごっそり譲ってくれた。
ウトはいい人だった。もっとコミュニケーションをとればよかった。
息子のことで悪態なんかつくんじゃなかった。

海に飲み込まれたしまったんだろうウトの位牌を、
取り戻したくてしょうがない。
ウトが出してたハガキの家族写真は、
いつもウトがカメラマンで、どれにもウトが写ってない。
もう一度会いたいと強く思いながら、もうすぐ始めてのお盆だよ。

704: 可愛い奥様 2011/08/01(月) 01:10:45.14 ID:nmqLv1nG0
>>702
目頭があつくなった

710: 可愛い奥様 2011/08/01(月) 01:24:04.77 ID:4Q56Ayip0
>>702
素晴らしすぎる。
ウトさんの子孫は幸せだね。
706: 可愛い奥様 2011/08/01(月) 01:15:23.19 ID:WrGteXn50
チラ裏には勿体無い良い話。
もっと適切なスレがあるのではなかろうか…

707: 可愛い奥様 2011/08/01(月) 01:16:35.99 ID:StBQ9TLC0
位牌なんか関係ないよ
手を合わせた処に降りてこられる
世話になってる坊さん談

>>706
なんか、ここで聞いてほしかったんだ。
ほんとにいまさらだけど、色々考えちゃって。
息子の名前もウトが考えてくれたのを断った時のこととか、
達筆とはいえないウトが、息子の名前だけは丁寧に丁寧に書いてくれてるハガキの肉筆とかみるとさ。
>>707
そうだといいな。迷わずに、来てくれるといいな。

720: 可愛い奥様 2011/08/01(月) 01:51:29.34 ID:+AedLGDq0
>>702
ウトさん… 涙

(Visited 6,365 times, 1 visits today)
taka:

This website uses cookies.