まだ子供の頃の話です。
実家はマンションを経営してるんですが、そこのひと部屋に893が事務所を構えてしまいました。
まだ暴力団対策法などが整備される前のはなしです。
事務所では毎晩大騒ぎをして、近所迷惑この上なかったのですが、893なだけに文句を言える人もなく、周囲はどんどん空き部屋になってしまいました。
当然の事ながら、入居者も収入も激減。
このままでは、家族揃って食っていけなくなる…と本気で困っていました。
ある日、父が真剣な顔をして私と弟、母を呼び、1人ずつぎゅっと抱きしめた後、893事務所へ乗りこんでいってしまいました。
本当に怖くて怖くて、どうしようかと思いましたが、泣いていても仕方ありません。
父が危なくなったら飛び込んでやる!と、子供心に決心して、木刀を持ってコッソリ家を抜け出し、弟と一緒に父の後をつけました。
父は堂々と事務所に入っていき、しばらく出てきませんでした。
相変わらずやかましい事務所内で、父が何を話したかは解りません。
その間、私と弟は事務所のドアの前で、木刀握り締めて父を待っていました。
暫くして、ドアが開き、父が出てきました。
父は私達の姿を見て、びっくりした様子でしたが、何も言わずドアを閉めようとしました。
その瞬間、893のドスをきかせた声がしました。
「あんたの言いたい事は解ったよ、でもなぁ、あんたと家族、これから何があるかわかんねぇよ?」
私は咄嗟に父の足にしがみつき、隙間から見える893を睨みました。
すると、本物かどうかは知りませんが、チャカを構えていました。
たぶん、ずっと父に突き付けていたのでしょう。
私の姿が目に入ったのか、893はさらに続けて
「お嬢チャン可愛いよなぁ?なあ、オーナーさん?」
と、ニヤニヤしつつ父に言い放ちました。
その途端…
父の形相が変りました。
「ああ?ふざけんな!てめぇ殺すぞ!」
「ははは、ヤクザを脅すんかい、オーナーさん」
「おまえらはヤクザだが、俺は親父だ!」
「オーナーさん、こっちはコレ(チャカ)持ってるんだよ?」
「その程度で俺は殺れねぇ!俺は親父だ!こいつらの親父だ!ふざけんな!」
「・・・わかった、俺の負けだ」
そう言うとヤクザはドアを閉め、翌日出ていきました。
普段、ひょうきんで明るい優しい父が、あれほど凄まじく怒りをあらわにしたのは、
後にも、たぶんこれから先もないと思います。
あの後、「お父さん、お父さん」と泣きじゃくる私と弟を、
「うん、お父さんだよ」と、優しく抱っこしてくれた父。
この人の娘で本当に幸せです。