大学に入ってしばらくした頃、 今までバイトってものをやったことがなかった俺は人生経験のためにバイトを始めた。
そのバイト先の先輩に吉村という男がいた。
小太りで、服や髪は秋葉系の人だった。
無口で冗談などはほとんど言わず、自分の興味のあることだけを延々と話すような人で 、かなりとっつきにくい人だった。
俺とシフトが重なったとき、吉村はよく俺に彼女の話をしてた。
「もうすぐ俺、結婚するんだよ。彼女、ストレートの黒髪で、すごくかわいい子なんだ」
吉村はそんな話を延々と続けてた。
一応バイトの先輩だし、他にこの人と盛り上がれそうな話題もなかったので、俺はいつも聞き役に徹し、適当に相槌打ったりして時間が過ぎるのを待った。
ある日、バイト先近くのファミレスで友達と待ち合わせをした。
ファミレスに入って店内を見渡してみたけど、まだ友達は来てなかった。
しかし、ファミレスの一番奥の席には意外な人物がいた。
吉村だ。
こちらからでは後姿しか見えないが、吉村の前には女性が座っており、二人で話し込んでるようだった。
正直、吉村のプライベートに踏み込む気は全くなかったけど、ガラ空きの店内でバイト先の先輩がいるのにあいさつしないのも不自然だと思って、吉村に声を掛けた。
俺「こんにちは。吉村さん。今日はデートですか?」
吉村「ああ。今ちょっと彼女と難しい話してるんだよ」
吉村は素っ気無くぶっきらぼうに答えた。
しかし、俺の声に反応して振り返った女性は、涙を流しながら首を振って
「違うんです。付き合ってないんです」と言った。
俺「え?…」
意味が分からない。
俺がしばらく固まってたら
「お願いです。助けて下さい」
と女性から泣きながらお願いされた。
この女性が菜美だ。
「おい、あんちゃん。おまえこいつの友達か?」
呆然としてる俺に、吉村たちの隣に座ってた男が話掛けて来た。
隣に座ってたのは、二人とも30代半ばぐらいのおじさんたちだった。
ガラの悪いシャツにパンチパーマ、オールバックといったファッションで
どう見ても健全な商売の人間には見えなかった。
どうも、吉村は彼女と二人だけじゃなくて
その横のテーブルに座る柄の悪い二人組とも連れだったみたいだ。
菜美は清楚で大人しそうな感じ。
吉村はいつも通りの秋葉系。
吉村たち真面目組とこの柄の悪い二人とは全く接点無さそうだったんで、
連れだとは思いもしなかった。
手前側に座ってた893風の男は立ち上がると
「あんちゃん、悪いことは言わねえよ。
そんなに仲良くないなら、こいつらとは関わらない方がいいよ」
と言って、俺の肩をポンと叩いた。
吉村は無言だった。
菜美の方は、涙をポロポロ流しながら、目から助けて光線を俺に発している
俺「あの、とりあえずトイレ行って来ますね」
そう言って、俺はトイレに向かった。
トイレに向かうまでに、状況を整理して考えた。
吉村&菜美組と、893風の男×2組は、どう見ても友人関係ではない。
また、菜美が泣いているところからすると、
何らかの理由で彼らは893組に脅されてるんだろう。
そうだ。きっと二人は、チンピラに絡まれてるんだ。
俺はそういう結論に達した。
俺はトイレの大きい方に入って、小声で警察に電話し
友達が893に脅されてるから来て欲しいと伝えた。
電話を掛け終えた後、数分トイレで待機してから吉村たちの方へ向かった。
数分待ったのは、少しでもあの居心地の悪そうな場所にいる時間を減らすためだ。
吉村たちの席に向かったのは、
人数が増えれば、893風の男たちも絡みにくいだろうと思ったからだ。
ぶっちゃけ、バイト先での人間関係を悪くしたくないという打算もあったけど。
もうすぐ警察も来るし、しばらくの我慢すればいいだけだ。
そう自分に言い聞かせて、俺はトイレから出た。
俺「あの、俺も話聞きます」
893男「いや、こっちはそれでもいいけどさ。
あんた、ホントにいいの?
こいつらの借金の話してるんだよ?」
俺「え?借金?この二人のですか?」
菜美「違うんです。お願いです。助けてください」
菜美は涙で化粧は落ちてまくりで、脂汗タラタラで顔は真っ青だった。
893たちは借金だといい、菜美は違うという。
とりあえず俺は、一番信用できそうな菜美を信用することにして
吉村たちの席に座った。
座ってから、俺は一言もしゃべらず吉村と菜美の話を聞いてるだけだった。
話を聞く限りでは、どうも吉村は、菜美に風ゾクで働くようお願いしてるようだった。
菜美は「無理です」とか「お願いです。もう帰してください」
と涙を流しながら、平身低頭な懇願を繰り返すばかりだった。
俺が席についてから5分もしないうちに警官が到着して
俺たちは全員警察署に連れて行かれた。
893風の男たちは
「俺たち何もしてねえよ?何でだよ?」
と抵抗してたけど、警察は問答無用だった。
警察署で事情聴取を受けて取り調べ用の部屋を出ると
別の部屋から菜美が出てきて、俺に話しかけてきた。
菜美「ありがとうございました。助かりました。
ぜひお礼をさせてください。連絡先教えてもらえませんか」
俺が携帯の番号を聞くと、菜美はまた部屋へと戻って行った。
別にお礼なんかいらなかったけど、それぞれ話が食い違ってた理由と
「付き合ってない」と言った意味が知りたくて、俺は番号を教えた。
その日の夜、菜美から電話があった。
お礼の品物を渡したいので自宅を教えてほしいと言われた。
俺は、お礼はいらないと言い、
代わりに少し話がしたいから喫茶店で会わないかと提案した。
菜美は承諾してくれ、俺の最寄り駅近くの喫茶店まで出てくると言った。
だが、待ち合わせ時間が夜になるので、
今日のこともあるので菜美の自宅から遠いところでは危ないと思った。
結局、菜美の最寄り駅の一つ隣の駅の近くの喫茶店で会うことになった。
一つ駅をずらしたのは、
菜美の自宅の最寄り駅が、893風の男たちに絡まれた駅、
つまりバイト先の最寄駅だったからだ。
喫茶店で見た菜美は
前日の泣き崩れた菜美とは別人のようで、吉村がよく話してるように、
きれいな黒髪のストレートがよく似合う、清楚な雰囲気の美人だった。
自己紹介を一通り終え
その後、お礼と謙遜を言い合ったりとか
菓子折りを渡そうとするので「結構です」と押し返したりなどの定例の社交辞令の後、
菜美から昨日の顛末を聞いた。
驚いたことに、菜美は吉村とは知り合いでもないと言う。
菜美が言うには、事件のあった日、路上で吉村に唐突に
「借金のことで話がある」と話しかけられたらしい。
菜美の家は母子家庭で、あまり裕福ではなくそうだ。
このため、東京の大学に娘を進学させるために借金をし
菜美は、てっきりその話なのかと思って、
吉村の誘いに乗って喫茶店に着いて行ってしまったらしい。
本題に入らないままファミレスで茶飲み話をしていると
吉村に呼び出しに応じて後から893風の男たちがやって来て
吉村を含めた三人に囲まれてしまったらしい。
893風の男たちは
「俺らここで待ってるからよ。二人で話をつけろや」
と言い、菜美たちの横のテーブルに陣取ったらしい。
893風の男たちが来てから、初めて吉原は借金の話を始めた。
実は、吉原は街金から借金してており
返済資金に困っているので返済に力を貸して欲しいと、
泣きながらお願いされたとのことだった。
力を貸すってのは、つまり風ゾクで働くってことだ。
理不尽な話なので最初は
「何で私が…」とか「関係ありませんから」などと反論して
席を立って帰ろうとしたらしい。
だが、席を立とうとすると、吉村に腕を掴まれて無理やり引き戻され
また、893風の男たちからも
「話のケリもつけずに帰ろうってのか?
なめてんのか?てめえは?」
と凄まれたりしたので、怖くて帰ることが出来なくなってしまったらしい。
あまりに意外なストーリーに俺は呆然と聞いてた。
だが、そのとき俺は、菜美の話をあまり信じてなかった。
見ず知らずの女に「自分の借金返済のために風ゾクで働いてくれ」と頼むやつなんて、
現実にいるわけないだろ、と思ってた。
俺「山田さん、もしかして○○駅近くの○○と
××駅近くの△△でバイトしてるんじゃないの?」
菜美「え?……何でご存知なんですか?」
俺「吉村さんから聞いてるからだけど。
山田さんは見ず知らずだって言ってるけど、
どうして吉村さんは、そのこと知ってるのかな?
それから、もしかして自宅近くにファミマあるんじゃない?
吉村さん、よくそこで山田さんが何買ったとか話してたよ。
本当に、見ず知らずの人なの?
吉村さん、山田さんとの結婚考えてるって言ってたよ。
トラブルに巻き込まれたくない気持ちはよく分かるけど
でも、見ず知らずの他人なんて言い方したら、吉村さん可哀想だよ」
菜美はきっと、トラブルから逃げたくて、吉村と赤の他人のふりしてるんだろう。
そう考えた俺は、菜美に不快感を感じて、つい意地悪なことを言ってしまった。
意地悪な問いかけによって
菜美は開き直って、少しは本当のことでも話すのかと思った。
だが菜美は、この話を聞いてガタガタ震え出し、泣き出してしまった…
涙も拭きもせずにうつむいたまま脂汗流しており、顔は真っ青だった。
とても演技とは思えない狼狽ぶりだった。
俺「………………
もしかして、本当に見ず知らずの他人なの?」
菜美は声も出さず、真っ青な顔を何度もたてに強く振るだけだった。
たてに振る顔は、いつの間にか、
初めて会ったときのようなグシャグシャの泣き顔だった。
あまりにも取り乱したので、
この話は中止して、俺は菜美を励まして少し落ち着かせた。
菜美は、まだ東京に来たばかりで、
頼れる友達もいないのにこんな事件に巻き込まれ
どうしたらいいか分からないと泣くばかりだった。
仕方なく俺は「俺でよければ、出来ることならするよ」
「力になるから」「大丈夫。少しは頼りにしてよ」
というようなことを言って、菜美を励ました。
だけど内心では「街金は、さすがに手に負えないなあ」と思ってた。
そんなわけで、俺は成り行き上、菜美とよく連絡をとるようになった。
ほぼ初対面の俺に頼らざるを得ないぐらい、菜美は困ってたんだろう。
その後すぐ分かったことだけど、
街金も吉村も「借金の返済方法について相談しただけ」
ということで、すぐに釈放された。
数日後…
バイトで吉村と一緒になった
早速、吉村に菜美とのことを聞いてみた。
。
俺「吉村さん、山田さんとホントに付き合ってるんですか?」
吉村「そうだよ」
俺「でも、山田さん、吉村さんと話したこともないって言ってましたよ」
吉村「話さなくても、俺たちは心が通じ合ってるんだよ」
俺「……( ゚Д゚)」
俺「でも、まだ話したことない人とどうやって仲良くなるつもりなんですか」
吉村「それを考えるのは、相談に乗ってるおまえの仕事だろ」
俺「……( ;゚Д゚)」
吉村「おまえ、赤い糸って信じるか?」
俺「はあ」
吉村「俺と菜美は、一つになるってことが運命で決まってるんだよ」
俺「……(;;゚Д゚)」
吉村「まだ、おまえには分かんないかもな。
お前も運命の人にめぐり合えば、きっと分かるよ
強く引かれ合う力ってのがさ」
俺「……(;;;゚Д゚)」
俺「山田さんとデートって、したことあります?」
吉村「あるよ。いつも帰り道、一緒に歩いてるよ」
俺「え?並んで歩いて、手なんか繋いだりするんですか?
じゃあ、おしゃべりしなくても十分ラブラブじゃないですか」
吉村「いや、手は繋いでない。まだ少し距離をおいて歩いてるよ
でも、俺たちには十分なぐらいの近い距離だよ。
その距離なら、俺たちは心が深く通じ合うんだよ」
俺「……で、どれぐらいの距離で歩いてるんですか?」
吉村「50メートルぐらいまで近づけば通じ合うよ」
俺「……(;;;゚Д゚;)」
俺「そんな大切な人を、どうして風ゾクに沈めようなんて思うんですか?」
吉村「これは俺たちの試練なんだよ。
だけど、俺たちは二人の力で、必ずこの試練を越えてみせるよ」
彼女も辛いだろうけど、俺だって辛いんだよ。
俺たちはこの試練を必ず乗り越える。
俺「……( ;;;゚Д゚;;)」
吉村「俺たち二人のことを邪魔するやつらは、必ず俺が叩き潰すから
俺が、必ず菜美を守るから」
俺「……((((;;;゚Д゚;;)))ガクガクブルブル)」
吉村から話を聞くまで半信半疑だったけど、
菜美の言ってることは本当だった。
こんな危険なやつがいたんだ。
実際にこんな人がいるなんて思ってなかったから、手が震えるぐらい驚いた。
菜美に守ってやるといってしまった手前
俺は、有事に備えて飛び出し警棒を買った。
俺は店長に事件の顛末を話して
菜美の身の安全のために吉村の両親と話したいから
吉村の実家の住所を教えて欲しいと頼み込んだ。
店長は、吉村のおかしいところに心当たりがあるらしく
俺の話をすんなり信じてくれて
「いやー。予想以上にとんでもねえやつだなw」と笑ってた。
だが、個人情報の提供については、しばらく考えた後、
やはりバイトの個人情報を教えることはできないと言った
俺はしつこく食い下がった。
店長「うーん。大変なのは分かるけど、
やっぱり個人情報を教えることはできないよ」
俺「そこを何とかお願いします。
今はそんなことを言ってる場合じゃないんです
全く無関係の罪もない女の子が、犯罪に巻き込まれるかもしれないんですよ」
などと俺が延々と力説してたら
店長「話は変わるけどさ、この事務所の書類整理の仕事を頼むよ。
その棚にある履歴書なんかを、整理してファイリングしておいてくれないかな。
俺はこれから1時間ぐらい出かけるけど、その間にお願いね」
と言ってくれた。
店長に深くお礼を言って、俺は仕事に取り掛かった。
吉村はバイト仲間内でも屈指の働かないやつで、
ほとんどバイト収入なんてないくせに、都内一人暮らしだった。
自宅と実家がすぐ近くであるので、
菜美のように地理的理由で一人暮らしをしているのではない。
意外にも、吉原はいいご身分だった。
たぶん、俺が店長に話したからだと思うが
話した後すぐ、吉村はバイトをクビになった。
実際、ほとんど仕事しないし、よく休むし、
バイト仲間からも嫌われてるやつだったので
クビにする理由はいくらでもあった。
俺は、菜美にさっそくgetした吉村の個人情報を伝え
親御さんに話して、
もう近づかないよう吉村の親に警告してもらうことを提案した。
しかし、菜美は複雑な顔をして、親には話したくないと言った。
菜美を大学に通わせるために、菜美のお母さんはかなり無理をしてるようで
毎晩、体力的に限界に近くまで働いているらしい。
疲れてるお母さんに余分な心配掛けたくないと菜美は言った。
菜美からの相談に乗ってるうちに、
俺たちは、次第に事件以外のことも色々と話すようになった。
菜美は母子家庭であまり裕福ではなく
仕送りが少ないために、生活費は自分のバイトで捻出していた。
また卒業のためには奨学金獲得が必須であるため、
大学の勉強で手を抜くわけにもいかず
家に帰ってからも自習をせざるを得ず
このため、普通の大学生のように楽しく遊ぶ時間なんて
ほとんどない生活だった。
東京でなかなか親しい友達ができないのは、
まだ来たばかりという理由以外に、
ほとんど遊ぶ時間がないというのも
関係してるんだろうと思った。
友達の少なさとは裏腹に、菜美はすごくいい子だった。
色々話すようになって分かったんだが
菜美は、とても同じ年とは思えないほどすごく大人で、
しっかり芯を持った人だった。
苦労してるだけあって、周りの人にも優しかった。
俺は、急速に菜美に惹かれていった。
バイト先でのヒアリングで吉村が危なすぎるやつだと分かったので、
俺は可能な限り菜美の送り迎えをするようになった。
菜美を自宅まで送った後、
一人で夜道を歩いているとき、目の前に吉村が現れた。
吉村「おまえ、どういうつもりだよ?
俺の女に手出すんじゃねえよ?」
超びびッた。
菜美がおまえを怖がってるとか
おまえから危害を加えられないために送り迎えしてるんだとか
いろいろ説明したけど、全く無駄。
「俺と菜美は心でつながってる」とか「菜美はおまえを迷惑がってる」とか
吉村は根拠のない反論し繰り返した。
もう「菜美と俺は相思相愛」てのを固く信じちゃってて
全く聞く耳持ってくれなかった。
話してるうちに
「殺すぞこの野郎!」
と吉村は俺に殴りかかってきた。
でも、俺と吉村では体格も全然違うし
吉村はかなり運動神経が鈍い方だったから、問題なくさばけた。
みぞおちを一発殴ったら、吉村はうずくまって動かなくなった。
うずくまる吉村に俺が、もう一度、
菜美は吉村を怖がってて、出来れば会いたくないと思ってると話したら
「おまえが、おまえがあああ、嘘を吹き込んでるんだろうううう!!!!」
と怒鳴って、その後
「ウウウウウウウウウウウ」とうなった。
うずくまってうなり声を上げる姿は、本当に獣みたいだった。
背筋に冷たいものを感じて、思わず走って逃げてしまった。
安全なところまで逃げてから、すぐ菜美に電話した。
吉村に会って喧嘩になったこと、
何やら物凄い執念だったから、戸締りはしっかりして、
今日はもう家から出ないようにということ
何かあったら、何時でもいいから、すぐに俺に電話するように
ということを言った。
菜美からの連絡はその日の夜にあった。
電話ではなくメールだった。
メールには
玄関前で音がしたので、菜美がドアの覗き穴から外を覗いたら
ちょうど吉村もその穴から部屋の中の様子をうかがってる最中で
うっかり目が合ってしまったとのことだった。
すぐ近くにいると思うと怖くて声が出せないから、
電話ではなくメールで連絡したらしい。
俺は、すぐに警察に連絡するように返信したら
警察に電話なんかしたら、通報する声が吉村に聞かれてしまって
それで逆上されて、とんでもないことになるかもしれないって返信が返って来た。
俺は、警察への通報は俺がするということ、
すぐ行くから部屋から出るなということをメールで伝えた。
俺は、昔、野球やってたときに使ってた金属バットをバットケースに入れ
そのまま菜美の家に向かった。
警察は、俺が着くより前に見回りに来てくれたらしいけど
周囲をざっと見て、菜美の部屋のベルを鳴らして
菜美の顔を見て無事を確認したらすぐ帰ってしまったらしい。
その日、俺は菜美の部屋に入れてもらった。
翌日、菜美は朝早くに出発の予定だったので
俺が寝ないで見張ってるから、とりあえず菜美は寝るように言った。
その日が、菜美の部屋に入った初めての日だった。
普通なら、俺たちの関係に少しぐらい進展があってもいいんだろうけど
結局、何事もなく終わった。
怯える菜美がなんとか寝付いたのは深夜2時過ぎ。
すやすやと寝る菜美を見てさすがにムラムラしたけど
今襲ったら、それこそ菜美を深く傷つける気がして
最後の一歩は踏み出せなかった。
その3日後ぐらいから、菜美のところにも街金が来るようになった。
そのため、俺と菜美は半同棲のような形になった。
だけど俺は、相変わらず菜美には手を出さなかった。
菜美が風呂上りにノー部ラパジャマでいたりとか
パジャマのボタンとボタンの隙間から見えそうだったりとか
かなり危ない状況はあった。
だけど俺は、菜美のいないときに狂ったように1人でして
搾り出したりすることで、なんとか理性を保つことができた。
吉村の一件以降、菜美は知らない男に対して強い警戒感を示すようになってた。
これだけ無理して我慢してたのは
このまま俺が襲ったら、菜美の男性恐怖症はさらに酷くなると思ったからだ。
俺が菜美の家に通い始めてから1週間ぐらいしたとき
菜美の家に俺の歯ブラシを置いた。
歯を磨いた後、俺の歯ブラシを見ながら
「私たちって、変な関係だよねー
普通、家に男の人の歯ブラシ置くのって、
普通に付き合ってるってだけじゃなくて、
相当深く付き合ってる場合だけだよね?
でも、俺男君の歯ブラシはここにあるのに、
私たち付き合ってもいないんだよ?」
と言った。
返す言葉がなく無言でいる俺に、菜美は言葉を続けた。
菜美「ごめんね。俺男君。
私がもっと魅力的で、変なトラブルに巻き込まれるような女じゃなかったら
俺男君ももう少し楽しかったんだろうね」
空元気に笑う菜美が無性に可愛く見えた。
本当は、この件が全部片付いた後、
俺から菜美に告るはずだった。
だけど俺は予定を繰り上げて、
その日に菜美に告って、その日に菜美を抱いた。
俺としては、菜美を傷つけないために我慢してたのにな。
だけど、俺が菜美を抱かないことが逆に
菜美を傷つけてるとは思わなかった。
女って、難しいな。
行為が終わって、俺がすぐに服を着ようとしたら菜美に止められた
菜美「もう少し、このままこうしてよう?」
何も着ていない菜美は、何も着ていない俺に抱きついてきた。
俺「ちょっとだけだぞ。襲撃に備えて服は着ておかなきゃだから」
菜美「もういいよ今日は。
今日だったら、このまま死んじゃってもいいや」
俺「何でだよ?今日が俺たちのスタートの日なんだぞ
スタートと直後にゲームオーバーって、ださくない?」
菜美「ああ、そっか。
今日が始まりの日なんだ。
俺「そう。今日がミッション・コンプリートじゃない。今日が始まりだ」
菜美「うん。そだね。これからよろしくね」
そう言いながら菜美は俺にキスをしてきて、二回戦が始まった。
菜美の家に来る街金とドア越しに話すのは俺がやった。
警察にも相談したけど、
民事不介入ってことで取り合ってくれなかった。
街金とのやり取りは大体こんな感じ。
街金「山田さん、あなた吉村君の金使っていい思いしたんでしょ?
いい思いしたんだったら、その分のお金は払わないと。
それが世の中ってもんだよ。
世の中なめてると、怪我じゃすまねえよ(ここだけドスの効いた怒鳴り声)」
俺「山田が吉村と付き合った事実はありません」
街金「でも、債務整理の相談したとき乗ってきたんでしょ?
まるで無関係の女が、どうしてそんな相談の場に来るの?
そんなやついねえだろ?」
俺「あれは、大学進学の借金と勘違いしたからです」
街金「吉村君も、山田さんが払うべきだって言ってるよ
一度は、山田さんの涙に騙されて自分が払うっていったんだけどね
やっぱり、山田さん。相当、吉村君のこと泣かせたんだろうね。
最近になって、やっぱり山田さんと二人で払うって言い出しだよ。
まあ、自業自得だと思って、まずはこのドア開けてくれないかなあ」
俺「そもそも二人は付き合ってませんし、ドアは開けることはできません。
お帰りください」
街金「てめえに言ってんじゃねえんだよ(いきなり怒鳴り声)。
俺は山田さんに言ってんだよ。オイコラ。山田さん出せや」
俺「山田の代わりに僕が伺います」
街金「てめえは日本語わかんねえのか?コラ(怒鳴り声)
早く出せや。いい加減にせんかいコラ」
(ドーンというすごい音。たぶんドア蹴っ飛ばしたんだと思う)
街金が来ると、こういう冷や汗ものの会話が最低20分ぐらい
長いときは2時間以上も続きます。
街金の追い込みはさすがにきつかった。
さすがにもう、嵐が過ぎるのをただ耐えるだけなんて不可能だ。
何とか打開策を見つけなくてはならない。
だが、肝心の吉村とは、まるで話にならない。
それどころか、会えば命の危険さえある。
俺は吉村の実家に行って親と交渉することを考えた。
ゲットした吉村の実家の住所に行き、吉村の両親を訪ねた。
ちょうど両親ともに在宅で、俺は吉村の実家に招き入れれた
家に入った驚いた。
廊下の壁のあちこちが穴だらけだった。
ちょうど、壁パンチをしたような跡がたくさんあった。
リビングに通されたが、リビングの電気の傘も割れたままで交換されていない。
壁も穴だらけだ。
ちょうど吉村の両親が二人ともいたので二人に話を聞いてもらった。
俺の要求は
・無関係の菜美に借金を払わせないでほしい。
・菜美が怖がっているので、もう吉村を近づけないようにしてほしい。
・吉村を一日も早く精神科に通わせてほしい。
というものだった。
借金について
「吉村はもう成人しているので、親の関知するところではない」
菜美に近づかないようにという依頼に対しては
「一応言ってみるが、最終的には本人が決めること。
保証はできない」
精神科に通わせてほしいとお願いしたんだが、
これがまずかった。母親は突然
「ふざけんじゃねえよ。うちの子は精神病か?はあ?てめえが精神病だろうが?」
と急にスイッチが入ったかのように下品な口調で怒鳴り散らし始めた。
さっきまでは普通のオバサンだったのに、急にこの口調ですよ( ゚Д゚)
母親は、リビングの壁などを蹴りまくり、
俺の顔に湯のみを投げつけた。
「俺男君、もう今日は帰りなさい」
呆然とする俺に、父親は静かな声で助け舟を出した。
簡単に一礼して、俺は玄関に向かった。
玄関で靴を履いていると、母親は俺に塩を投げつけ、
そのままブツブツ独り言を言いながら奥に消えていった。
父親は玄関の外まで俺を見送ってくれ
「すまなかった」
と最後に一言、深く頭を下げて謝った
帰る道すがら、俺は絶望で心が真っ暗だった。
唯一の希望だった吉村親もおかしな人で、まるで話にならない。
吉村はダメ。吉村親もダメなら、もう交渉相手がいないじゃないか。
それでも俺は希望を捨ててはダメだと思い、
一度家に帰って、その日のうちに病院に行った。
湯飲みをぶつけられたときに口を切ったんだが
病院で診断書をとれば、後で何かの役に立つかもと思って。
この頃になると、俺も菜美もさすがに精神的に限界近かった。
特に菜美は酷かった。
街金が来たとき家にいたりすると過呼吸になったりしてた。
俺も菜美も、夜中に悲鳴を上げて飛び起きることも増えた。
その頃の俺は、歩道橋などからふと下を見ると、いつの間にか
「飛び降りたらどうなるか」なんてことを考えていたりした。
自分の危険な思考に気付くと、慌ててその考えを否定した。
そんな感じの状態だった。
仕方なく俺は、父に全てを話して助力を要請した。
父「なんだ。最近、家にいないと思ったら、そんなことしてたのか?
まあ、いい勉強だ」
切迫してる俺とは対照的に、話を聞いた父親の態度はのん気なものだった。
父は、のん気な口調とは裏腹にしっかりした対処をしてくれた。
父の経営する会社の顧問弁護士を俺に紹介してくれた。
弁護士に相談してからは、話が早かった。
街金の取り立ては、相談してから3日後ぐらいにピタリと止んだ。
弁護士は、菜美の債務不存在確認と債務を片代わりする気がない旨
これ以上取り立てるなら、恐喝で告訴する用意がある旨などを書いた手紙を
弁護士名義で内容証明郵便で送った。
たったこれだけで、あれほどしつこかった街金は全く現れなくなった。
あまりに簡単に片付きすぎたので、俺は、
実は父が俺に隠れて、裏で人に言えないようなことをしたんじゃないか
と疑ったぐらいだ。
街金の取り立てがピタリと止んだことを電話で弁護士に伝え、お礼を言った。
「吉村和夫のストーカーの件は、来週ぐらいから始めます」
と弁護士は言った。
だが、弁護士の手続開始を待たずして事件が起こった。
夕方、俺と菜美が菜美の家の近くのスーパーで買い物をして帰る途中
突然、目の前に吉村が現れた。
突然、俺たちの前に立ちふさがって、吉村は俺を無言のまま睨み続けた。
菜美は怯えてしまい、ガタガタ震えながら俺の腕に抱きついてきた。
俺も足の震えが止まらなかった。
俺たちは、その場から動けなくなってしまった。
吉村「おまええがあああ、菜美を騙したんだあああ」
吉村はうなるような大声でそう言いながら、バックから包丁を取り出した。
目は完全に、人の目じゃなかった。
情けない話だが、俺はビビッて声も出なかった。
「ちょっと落ち着いて。話をしよう?ね?」
吉村に話しかけたのは、意外にも俺にしがみ付いて震えてる菜美だった。
吉村「菜美。俺のこと覚えてるか?俺だよ、俺」
菜美「あ、うん。吉村君だよね。憶えてるよ」
吉原「ありがとう。うれしいよ。やっぱりお前は、俺を見捨てられないんだな」
菜美「見捨てるとか、見捨てないとか、そんな話した憶えないよ」
吉原、しばらく号泣
吉村「菜美。お前はその男に騙されてるんだよ。
今俺が助けてやるからな」
菜美「ちょっと待ってね。二人で話そうか」
そう言うと菜美は俺の耳元に口を近づけて小声で
「逃げて。お願い。私なら大丈夫だから」と言った。
俺「出来るわけないだろ」
菜美「お願い。二人無事にすむのはこれしかないの。
私は大丈夫。今度は、私が俺男守るから。」
俺「……じゃあ俺は、2mほど後ろに下がる。
いいか。吉原との、この距離を保て。
この距離なら、万が一にも俺が対処できる。」
菜美「分かった」
俺は少し後ろに下がった。
驚くほど冷静な菜美の言葉を聞いて、体の震えが止まった。
今、自分が何をしなければならないかが、はっきり分かった。
「私が俺男守るから」と言う言葉を聞いて
刃物の前に飛び出す決心が固まった。
最悪の場合、俺は全力で菜美を守る。
菜美と吉原が話している最中、
騒ぎを見に来た40代ぐらいの男性と目が合った。
俺は声を出さずに「けいさつ」と口だけを動かした。
見物人の中年男性は、うなずいて渦中の場所から小走りに離れて行き
50mほど先で電話してくれた。
その間も吉原は「俺たちは結ばれるんだよ」とか
「お前は俺を酷い男だと思ってると思うけど、それは違う。
おまえはこの男に騙されてるんだよ。
こいつが、あることないこと吹き込んでるだけだから」とか
「結婚しよう。将来は生活保護もらって、お前を幸せにするよ」とか
聞くに耐えない話を延々と続けていた。
菜美は適当に話を合わせて、吉原の会話に付き合っていた。
それにしても、何なんだ吉村は。
以前も訳が分からないやつだったけど、今は以前以上だ。
支離滅裂で会話にさえなってない。
それにここは、確かに商店街ほど人通りは多くないが
人通りが少ない場所じゃない。
俺たちは、なるべく人通りの多いところを歩くようにしてたけど
それにしても、よく使う道でもっと人気のない場所なんていくらでもある。
一体、何考えてんだ?
子供連れのお母さんなどは、刃物を持って大声出してる吉村に気付いて
大慌てて逃げて行く。
吉村が菜美に近づこうとしたときは少しあせったが
菜美が「まだそこで待ってて。まだ二人が近づくのは早いの」
と言ったら、吉村は近づくのを止めた。
すごいと思った。
この短時間で、菜美は支離滅裂な吉原の話に上手く合わせていた。
しばらくして、8人ぐらいの警官が来た。
パトカーから降りると、警官たちは手際よく吉村を包囲した。
「刃物を捨てなさい」
警官の一人が穏やかで、しかし厳しい声で言った。
吉村は、警官は認識できるようで、
オロオロ周り警官を見渡しながら八方の警官に順に刃物を向けた。
「吉村君、まずは包丁地面に置こうか。
吉村君、何か悪いことした?
もし、しちゃってたらもうダメだけど、してないなら捕まらないよ」
菜美は元気よく明るい声でそう言った。
吉村の注意がまた菜美だけに向かう。
「吉村君、死にたくないでしょ。
早く置かないと、鉄砲で撃たれちゃうよ」
吉村は笑顔で包丁を捨てた。
不気味な、人間とは思えない笑顔だった。
吉村が包丁を捨てると、警官がドバっと吉原に襲い掛かって
吉村は地面に組み伏された。
俺と菜美は、泣きながら抱き合って喜んだ。
その後、吉村の父親がうちに謝罪に来た。
うちの両親は、二度と俺や俺の家に近づかせないようにと
それだけを固く約束させた。
母親は、一度も謝罪には来ていない。
予想通り、精神鑑定で見事に病気判定されたので刑事上、吉村は無罪だった。
俺たちは、損害賠償が請求できるだけだった。
民事の席で吉原の父親と会ったとき
父親に吉村の入院先と主治医を聞いた。
俺は予約を取って、その主治医に会って来た。
主治医に、吉村の言動がおかしかったことなどについて説明してきた。
事件になる前からのおかしかった言動などについて、説明した。
吉村もなりたくてああなったんじゃないと思ったから
吉村の治療の助けになればと思ったからだ。
主治医は一通り俺の話を聞いてくれ
「貴重な情報ありがとうございます。治療の参考になります」と言った。
吉村の病名について聞いたが、それは教えてくれなかった。
しかし主治医は「もちろん、吉村さんが統合失調症とは申し上げませんが」
と前置きした上で、一般論として統合失調症という病気は
相手の思考が読めるとか、自分の思考が相手に通じるなどという妄想を生み
また前世や赤い糸などの妄想を強く信じたりすることがあり、
妄想を否定されると怒ったりするらしい。
統合失調症は支離滅裂になるのかと聞いたら、そういう症状が出ることもあるとのことだった。
親がおかしいと子どもが統合失調症になるのかと聞いたら
はっきり分かっていないが
遺伝と環境の両方の要因が作用して発症するとのことだった。
つまり、遺伝だけではなく、そういう素質を持った人が
ストレスの強い環境におかれると発症しやすいらしい
その話を聞いて、吉村の母親がすぐに思い当たった。
結局、吉村も、病的にヒステリーな母親という
ストレスの強い環境におかれて発症してしまった被害者の一人なのかと思った。
今はもう、菜美との同棲は止めている。
婚前に一緒に住むことに対して、うちの母親が難色を示したからだ。
みんなに祝福されるような付き合い方をして、
みんなに祝福される結婚をしようというのが、俺と菜美の出した結論だ。
私怨くれた方、ありがとう
>「結婚しよう。将来は生活保護もらって、お前を幸せにするよ」
ワラタ
菜美さんとは結婚前提に付き合いは続いてるの?
>「結婚しよう。将来は生活保護もらって、お前を幸せにするよ」
あほかw
貴方が殺傷沙汰で入院とかになんなくてよかったです。
結婚するつもりでお付き合いしてるんですねー。
まぁ結束は固いだろう。
お幸せに〜
そしてお幸せに。
これからもなみさんと二人、仲良くね。
幸せな結果になって安心したよ。
お幸せに!
死人がでなくて本当によかった。乙です。これからもお幸せに。
>>480
はい。続いてます。
法改正でこういう危険な人たちも該当施設に収容(というかむしろ保護だな)しておけなくなって
一般社会でいつこういう事件を起こしてもおかしくない日本になっているってことだな。
を繰り返してるんだろうねえ・・・
修羅場としては文句なしに100点だな
ていうか至る所で紙一重で助かってるんだな。
サラ金やら包丁男やら…
二人とも冷静だったから切り抜けられたんだなー。すげえ。
お疲れ様でした。