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「バンドで売れたい」と思って10年間頑張ってきたけど…

中学生の頃に父親の洋楽趣味に影響されてギターを始めた。

当時お小遣いなんて月1000円程しか貰っていなかったのでギターを買うために貯金した。

僕は あまりコミュニケーションを取るのが上手ではなかったので友達も少なかったし遊びに行ってお金を使うなんてことも多くなく、お年玉等含めて半年ほどでそのお金は溜まった。

始めるからには そこそこのギターを買いたいと思って楽器屋で
「初めて買うんですが、長く続けられるようなギターが欲しいです」
と言った。今思うとうまく言えてなかったかもしれない。

店員さんのおすすめを聴きながら慎重にギターを選んだ。

僕が買ったギターはFenderという有名ギターメーカーの廉価ブランドSquierのストラトキャスターというギターだった。

店員に安いアンプ、チューナー、シールド、ピック等の初心者セットを付けてもらってその時は
「最近の楽器屋は太っ腹なんだなあ」
とか思っていた。

ギターとを買ったその日は すぐに家に帰ってギターをソフトケースから出して眺めて一緒に買った教則本を一晩読んだ。

学校に行っても休み時間に教則本を読んでふむふむ言ってみたりしてた。

リア充だったら
「えー○○君ギター始めんの〜〜〜?」
みたいな話題で盛り上がったのかもしれないが、学校での空気と溶けこむスキルで右に出るものはいないだろう僕は ひとりひたすらに勉強と練習を繰り返した。

今思うと
「あいつぼっちのくせにギター始めようとしてんぜプププ」
くらい思われていたんじゃないかと死にたくなる。

中学を卒業し高校に入学した。

公立の高校に落ちた。勉強は出来る方だったが、どうも面接
で緊張して自分でも何を言っているのかわからない状況になっ
ていたことだけは覚えている。

当然高校でもクラスに馴染めず、ぼっちになった。
高校は進学校でとにかく勉強、勉強という感じだった。

部活動もあったにはあったが1日1時間程度しか活動できず、
軽音楽部なんてものはなかった。

ギターを毎日練習し続け夏休みに入り、僕は初めてライブハ
ウスに行ってみようと思った。

近所に小さなライブハウスがあって、別に何が見たいという
わけでもなくスケジュールを確認した。

その日は確かロックバンドのブッキングイベントだったと思う。

ライブハウスに入ったあの日。なんというか、感動していた
んだと思う。

音楽を通じて人とコミュニケーションをとって、自分の思い
を音に乗せて伝えようとする姿に憧れた。
僕はバンドをしてみたいと初めて思った。

ライブハウスの隅で1人でコーラを飲んでいると さっきまで
演奏していたバンドが楽屋から出てきて、その人たちの周り
にはファンであろう人達が集まっていた。

かっこよかったですとか来てよかったですとか、正直すごく
羨ましかった。嫉妬した。

その分、僕があの場に立って女の子に囲まれる妄想も大きかっ
た。その時 女の子に声をかけられた。

「このあと、中で打ち上げやるんですけどよかったら来ませ
んか?」

女の子に声をかけられるなんて滅多になかったので多分
「あ、あ、はい・・・・・」と返事してたんだと思う。

なんで僕に声をかけてくれたんだろう。もしかして僕のこと
気になってるのかな・・・・・?なんて思った。気持ち悪す
ぎる。

当然僕に だけ声をかけてくれたわけじゃなかった。
その子はライブハウスのスタッフで、中にいる人全員に声を
かけていた。

打ち上げ自体はすごく楽しかった。大きなテーブルを囲んで
笑い合い料理を食べお酒を飲んでいた。

僕はお酒は飲まなかったけど、お酒を飲んでいるんじゃない
かっていうくらい頭から何かが沸き上がっていた。

学校での僕の姿なんて知ってる人がいるはずもなく、みんな
普通に話しかけてくれたっていう事実が僕を大きく揺さぶった。
さっき声をかけてくれたスタッフ、Uさんとも話した。

「今日はどのバンドを見に来たの?」

「たまたま、ライブハウスに行ってみようと思って・・・・・」

「そうなんだ!楽しかった?」

「はい・・・・・僕もバンドやってみたいなって思いました」

うまく話せていたかは別としてギターを弾いていることや、
好きな音楽、いろんなことを話した。

Uさんは20歳の大学生だった。僕は高校生だと思っていた。
Uさんもちょっと気にしているみたいだった。

僕がUさんに興味を持っているのは明らかだった。ここでラ
イブをしてUさんにライブを見てもらいたい、そう思った。

その日、Uさんに僕の連絡先を教えた。「また来てね」って
行ってくれたのがすごく嬉しかった。

翌日、僕はライブハウスの上のスタジオでメンバー募集のチ
ラシをかき集めた。

なるべく歳が離れていない、趣味が合う、怖そうな人がいな
いという点に注意して探したが、あまり見つからない。

僕の趣味はハードロックだった。その当時の若い子はハード
ロックなんて聴かなかった。今もどうかは知らない。

2週間程たった日、Uさんからメールが来た。
「来週ライブハウス主催のセッション会があるんだけど来て
みない?僕君のギター聴いてみたいな(顔文字)」

すぐに行きますと返事をした。

初参加ということで課題曲を1曲やってもらうという話だっ
た。

その日やる曲を教えてもらい。CDショップですぐにその曲の
入ってるCDを買った。

その時にやった曲はNOFXというバンドのLinoleumという曲だっ
た。

生まれてはじめてパンクを聴いた。衝撃だった。

特にうまいとも感じないボーカル、雑然とかき鳴らされるギ
ターとベース、めちゃくちゃに速いドラム。

2分少々の曲になんとも言えない衝動を感じ取った。

当日まで毎日そのCDのを聴いてその曲を弾いた。

曲自体は簡単だったので弾きこなすまでに時間は掛からなかった。
セッション会当日、緊張しながらライブハウスの扉を開いた。

その時一緒に演奏したのはボーカルとベースがAくん、リズ
ムギターはGくん、ドラムはRくん、リードギターが僕だった。

Aくんは高校生で髪を金髪に染めていて正直苦手なタイプだった。
Gくんはあんまり覚えてない。
Rくんはいかにもって感じのチャラチャラした大学生だった。
他の人の演奏を見たときは それはそれは緊張した。

やっぱりみんな慣れてるんだ。
こんな人達の前で演奏して怒られないんだろうか・・・・・。

ついに自分の番、アンプにギターを繋ぎギターを弾き始めて
からは無心だった。
気付いたら終わっていたくらい。
終わった後にAくんに話しかけられた。

「お前結構うまいんだな!なんか自信無さ気だったから大丈
夫かよって思ってたけど意外だったわ〜」

「そ、そうかな・・・・・あり、あ、ありがとう・・・・・」

金髪の人ってなんであんなに威圧感あるんだろう。金玉でも
握られてるような気分になった。

その日の打ち上げでAくんにバンドに誘われた。
怖かったけど、とにかく嬉しかった。
僕はやりたいと答えた。

ただ その日のことをこんなにも覚えているのは
その後にあった出来事のせいだと思う。

Uさんが演奏の様子を録画していたらしくDVDをくれた。

2003年当時うちにはDVDプレーヤーなんてなかったので
PS2を友達から借りて見た。

愕然とした。
僕は立って弾いてるだけだった。

他のメンバーは音楽に合わせて体を動かしたりしているのに
僕だけが明らかに浮いていた。

ステージパフォーマンスというものを初めて考えさせられた。

夏休みが明けた9月、バンドの顔合わせがあった。

その時のメンバーはベースボーカルAくん、ドラムRくん、
ギターが僕の3ピース構成だった。

ジャンルは所謂メロコア、その頃はHi-STANDARDの後継バン
ドがたくさん出てくる時代で割りと勢いのあるジャンルだった。

その頃僕はバンドを続けていれば自然にプロにもなって、
働かなくても生活できるんじゃないか?ラッキーとか考えて
た。

実際初めて見ると、Aくんが作った曲の原型を僕達が形にし
ていくというのは相当難しく、練習時間も増えていく。

Aくんの家で夜中にひたすら曲を練って、翌日スタジオであ
わせてみるとイメージと違ったり、辛かったけどやっぱり楽
しかった。

1年程経った。バイトをしてお金を貯めて たくさんライブも
したし、どんどん自分のイメージが膨らんでいって、もっと
もっと色々なところでライブをしたいと思った。

しかし高校2年の夏事件は起こる。

僕は留年直前まで成績が落ちていた。
2年の夏の時点で留年直前、親と学校で三者面談をした。
とにかく怒られた、夏休み中毎日学校に来て講習を受けろと
言われた。

そのことをメンバーに相談しようと決心したスタジオ練習後。
僕達が拠点としているライブハウス、仮にライブハウスKとする。

ライブハウスKでお世話になっている先輩のバンドが
かなり大きなライブハウスでライブをするらしい。

そのライブのオープニングアクト(要するに前座)をやって
ほしいという話が入ってきた。

ライブの日程が9月の頭、あと2ヶ月で音源を作ってライブの
日に配ろうという話だった。

AくんとRくんのキラキラした目を見ていたら、留年直前で夏
休みは出れないなんて言い出せなかった。

その日は、「まだ予定がわからないから追々話すよ」なんて
行ってはいたけど、僕は悩みに悩んだ。

夏休み練習できないとなると、CDは愚か、ライブすらうまく
出来るかどうかあやしい。

本当なら悩むまでもなく学校のほうが大事である。

AくんもRくんもその話をすれば、じゃあ仕方ないな。ライブ
は断ろう。といってくれると思った。

でもそのことでふたりは、表に出さずとも相当がっかりする
と思った。

せっかく僕を拾ってくれたふたりをがっかりさせるなんて絶
対にできない、と思った。

まず僕は親に相談した。

バンドを頑張っていて、夏休みはその活動で講習には出れない。
その高校の所謂留年講習と言うものは留年の可能性がある生
徒を集めて、ギリギリ留年を免除しようというもので
出なければ留年は確定といってもいい、という話だった。

だからもし留年してしまったとしても、許して欲しい。と話
した。
母親は無言でその話を聞いていて、話し終わると「お父さん
と相談するから」といった。

僕は話が通じることを願ってその日は眠りについた。

翌日 起きると父親から話があると呼び出された。
怒られた、今までこんなに怒られたことはなかったというく
らい怒られた。
父親は音楽が好きだから、許してくれると思っていた。
甘かった。

僕は黙って聞いていたが、

「そんなにギターが学業の邪魔をするならギターなんて捨て
てやる。持って来い」
の一言で僕は今までにないくらい怒った。

父親と初めて殴り合いの喧嘩をした。
が貧弱な僕は勝てなかった。
父親は僕のギターを折って捨てた。
僕は泣いた。一晩中泣いた。

ギターを捨てられたことより、僕がバンドと出会ってからの
変化を父親が認めてくれなかったのが悲しかった。

翌日僕は生まれて初めて学校をサボって家出した。

まっさきにRくんに電話した。Rくんは大学のために地元から
こっちに出てきて彼女と暮らしていた。

結局のところ僕はただの高校生で誰かに頼らなくては生活で
きないということが悲しかった。

Rくんは理由も聞かずに泊めてくれた。
その優しさもまた痛かった。

Rくんの彼女は時々僕を邪魔そうにみてくるので、そういう
時は ちょっと散歩に行ってくるなんて言って3時間くらい公
園で暇をつぶしたりした。
1週間後僕は家に帰った。

父親はそのうち戻ってくるだろうという態度だったのか驚か
なかった。

母親はひたすらに今までどうしていたのとか、なんでこんな
ことしたのとか聞いてきた。

その日の晩、僕はバンドのために学校をやめること、高校卒
業の歳までは家で貯金をして家をでることを伝えた。

母親は泣いていた。父親は「勝手にしろ。ただ、いざとなっ
たら親に頼ろうなんてことを考えてるならやめておけ」

と言ったが、何故かその時僕は自信満々だった。
バンドをやっていれば、生活するお金なんていくらでも手に
入る。そう思っていた。

高校を辞めたことはバンドのふたりには言わなかった。
学校はいいの?とか聞かれても、まあ大丈夫だよとか誤魔化
したりして。

9月のライブは そこそこに成功して無料配布CDも200枚用意
したが、すべて配りきった。
配った時に女の子に「かっこよかったです!」っていわれる
のは いい気分になった。

Uさんも「たくさん聞くね!」って言ってくれて何もかもう
まく行っているような気分になった。

それから2年ほど経った夏。

Aくんは僕の1つ年上だったので高校を卒業し就職した。
20歳。

Rくんの大学は そこそこに有名で就職活動したくねえ〜とか
いいつつも就職活動しながらバンドを続けてくれた。
22歳。

僕は家を出てコンビニで夜勤のアルバイトをしながらバンド
を続けていた。19歳。

バンドは そこそこに有名になっていた。
地元のライブハウスでは知らない人はいないくらいだった。

ただ自分のイメージしていたほど有名になっているわけでも
なく、なんとなくやりきれない気持ちもあった。

バンドのコンテストに出ようという話になった。
賞を取ればメジャーデビューにも繋がるという話で、かなり
テンションが上がっていた。

結果そのコンテストでは審査員特別賞を取った。
その年にアルバムのレコーディングに入った。

今まで何度かデモCDを作ったことはあったがプレスしたCDを
作るというのは やったことがなかったので完成した時は感動
で泣きそうになった。

結局CDは全国に流通し、500枚だかそのくらい売れていたと
思う。

ただ500枚CDを売ったところで生活は楽にはならなかった。

レコ発ツアーで全国を回っても、お金はかかるし、ギターを
捨てられたあたりから機材集めに はまってしまって、ギター
やらエフェクターやらを買ってお金はなくなる。

もっと楽々と生活できるようにならないとダメだと、焦って
いた。

翌年、成人式で中学の同窓会があった。一応呼ばれてはいた
けど、僕は行かなかった。

学校の奴らなんて嫌いだと思っていたし、僕を道端の石ころ
程度にしか見ていなかったあいつらを見返してやるという気
持ちも強くなった。

バンドはゆっくりと活動していくが、僕は焦りっぱなしだった。

メンバーふたりは仕事で活動出来る時間が限られていたけど、
いつしか僕はその時間もフルに使って活動して行かないとダ
メだと思っていた。

そのことを提案すると、ふたりは少し驚いたような顔をして
いた。

「ちょっと焦り過ぎじゃないか?」

「そんなことはないよ、むしろこれでも遅いくらいだと思う」

「俺達もバンドは好きだけど、でもそれだけにすべての時間
を使えるわけじゃないんだよ」

僕はその時に気付いた。
ああ、ふたりはバンドを趣味レベルにしか見ていなかったん
だ。プロになりたいだとか、真剣に考えていたのは僕だけだっ
たんだ。

Uさんはライブハウスのアルバイトを辞めて就職してからも
僕達のライブを見に来てくれていて、毎回良いと言ってくれ
たわけではなかったが そのたびに思ったことを真剣に僕に教
えてくれていた。

正直Uさんのことがその時でも好きだった。

むしろUさんに見てもらいたいという気持ちでバンドを続け
てきた僕はUさんにバンドのこういう面を見せるのを躊躇っ
てはいたが もう僕の話を聴いてくれるのは彼女だけだと思った。

Uさんにそのことをメールで伝えると、詳しい話をききたい
から週末に飲みに行こうと言われた。

ふたりで居酒屋に入り、僕はバンドに対する思いとか、他の
メンバーに対する思いとか、恥ずかしいことまでべらべらしゃ
べっていたと思う。

Uさんは真剣に話を聞いてくれて、ひと通り話を聞いたあとに

「難しいけど、いろんなテンポとか思いとかそういうのを集
めてバンドが出来上がるんだと思う。
1人の気持ちで周りがくっついて動くだけなんて、バンドと
はいえないんじゃないかな」

といってくれた。

悲しいけど事実そういうことだったんだと思う。結局、僕が
夢見ていた栄光の道は現実には存在しないということがはっ
きりとわかった。

このバンドを続けていく以上は僕とふたりのペースは明らか
にバラバラで、そのテンポをうまくみんなであわせていくし
かないんだ。

バンドをやめて別のバンドを組むというのは僕には考えられ
なかった。とにかく僕にはこのバンドしかなかった。

その日僕はベロンベロンに酔いつぶれて終電を逃した。

Uさんの「家泊まってく?」という問にうつろな意識で首を
縦に振ったが、冷静になって考えてみると

「一人暮らしの社会人女性の家に泊まりに行くっていうの
は・・・・・つまりそういうことだよな・・・・・・」

と僕の童貞脳はビンビンに反応していた。

伊達にこの歳まで童貞を守ってこなかった。むしろ、Uさん
のために僕の童貞はある。とか考えていた。

アホだ。

家についたらいい匂いだし、Uさんの生活してるスペースっ
てだけで相当に興奮して酔いも冷めた。

正直今でもあの時の感覚とか匂いとか思い出してしまうくらい。

ベッドにふたりで腰掛けて軽くウィスキーとか飲みながらも
う少し話をしていた。

僕は この人が好きなんだって再確認した。

今日、この人に思いを伝えようと思った。相変わらずせっか
ちだった。

「真剣な話してもいいですか?」
「ん、なに?」
「す、好きです・・・・・・」

Uさんは驚いたような、困ったような、なんか色々考えてた
ような気もするけど最終的に

「私も好きだよ」

って言ってくれて、僕は彼女と付き合うようになった。

それから、僕は今まで以上にバンドを頑張ろうと思った。
焦ることではなく周りに歩調を合わせて。

それから2ヶ月ほど、僕はたまにUさんの家に行くようになっ
ていた。

バンドのメンバーには付き合っていることを言わなかった。
なんとなく自分が腑抜けているように見えるのではないかと
思ったからだ。

ある日の練習後Rくんから「今日これから軽く飲まない?」
と提案された。

「いや、これからちょっと用事あってさ」

「なに?女の子?お前もついに?」

「あー、まあUさんのとこに用があって」
と言うとAくんに

「え、お前Uさんと付き合ってんの?」
と聞かれた。

僕は、「いや、まあ、そういうんじゃないよ・・・・・」

とお茶を濁してしまった。

その2週間ほどあと、Aくんに呼び出されて僕とRくんとで集
まった。
個室の居酒屋に入り、Aくんが話を始める。

「Uさんに告白した」

「・・・・・は?」

僕もRくんも結構驚いていたと思う。
「そしたら、Uさんはもう付き合ってる人がいるって言ってた」

Rくんはヘラヘラとしながら「え、だれ?」と聞く。
僕はその時変な汗が止まらなかった。

「おまえ、付き合ってないっていってたよな」

「え、そ、そんなこといってないっていうか、ちょっとよく
わからないっていうか」

「お前が付き合ってないっていうから俺は告白したんだよ」

冷静になって考えれば僕が付き合ってないとしたって
それがUさんがフリーと言う事にはならないんじゃないのか
とか言おうと思ったけど無駄だと思った。

Rくんが「まあまあ落ち着けよ・・・・・」と言いながら場
を収めようとしていたがAくんはやがてイライラしたように
帰ってしまった。

Uさんにそのことを聞きたかったけど、僕は聞けなかった。

Uさんがどんな顔でそれを話すのか、考えたくなかったし、
そんな顔見たくなかった。

バンドの練習は同じペースでは入っていたけど、Aくんは僕
と明らかに距離を置いているし、Rくんはその空気をどうに
かしようと立ち回っていたが相当苦労していたみたいだった。

そこからバンドが崩れるまでにそう時間は掛からなかった。
「俺、このバンドやめようと思う」

とAくんが言い出したのは居酒屋の件から1ヶ月程経った日だっ
た。

「正直 居心地悪いし、モチベーションもあがらない。
ここまでじゃないのか」
そこから色々と話し合った。

Rくんは そんなくだらないことでバンドを辞めるだとか、
女なんてたくさんいるだろとか言っていたが、

「俺はUさんのことを3年も想い続けてたんだぞ。今更他の女
とかそういう話じゃない。ずっと想い続けてた人が他の男、
それも身近な男に取られるなんて精神的に耐えられない」
とAくんは話した。

それを聞いたときに、僕はAくんを説得する権利はないと思った。
僕はUさんのことが好きだけどAくんもRくんもバンドもとに
かく好きなんだ。でも、それじゃどうにもならないと思った。

Aくんの気持ちもわかってしまうのだ。
もしこれでUさんが実はAくんと付き合ってました。

なんて言われた日にはバンドをやめると言い出すかは別とし
て精神的に耐えられたかはわからない。

僕は何も言えず、Rくんも仕方がないから来週までもう一度
考えてくれ、と言ってその日はお開きになった。

翌日僕は そのことをUさんに話してしまった。
本当に最低のミスだったと思う。

Uさんはそれを聞いて、今までに見たことがないくらい悲し
そうな顔をして何も言わなかった。

だが後日事件は起こる。

Aくんから電話で「今すぐうちに来い」と呼び出される。
すぐにAくんの家に向かうとRくんがいた。
UさんがAくんに「バンドを辞めないで欲しい」と言ったらしい。

それを聞いたAくんは僕がUさんにAくんを説得するように頼
んだんだと思い込んだ。

Aくんは「Uさんの言うことなら あいつも聞くだろう」と僕に
思われたと勘違いして気持ちを踏みにじられたと
今までで一番怒っていた。

僕は全くそんなことは頼んでいない、と弁解したがAくんは
聞く耳を持たず。

なにが起こっているのかわからなかった、人間がたくさん集
まった上での気持ちのすれ違いの怖さを思い知らされた。

結局 Aくんはバンドを辞めることを撤回せず、新しいベース
ボーカルを探すという考えには至れなかったので
残っていたライブを消化しバンドは解散した。

その2週間後Uさんは「私といると僕君に悪いことばっかり起
こしちゃうから」と言って別れを切り出した。

僕は別れたくなかった。けれど結局Uさんは精神的にもやつ
れていき、どちらかというと彼女を苦しめているのが僕だと
気付き、彼女と別れた。

結局のところ何年もバンドをやっていても、メンバーとは音
楽の話しかしなかったし、何もメンバーのことをしらなかった。

Uさんとは付き合ってはいても、楽しい話題の話しかしたく
なかったので、彼女の苦労とか思っていることを聞くことが
なかった。

人間関係の難しさを学生時代以上に思い知らされた。
結局は感情を暴走させると一発で切れてしまうような人間関
係でしかなかった。

それから数年間僕はバンドを組みたくなかった。

バンドをやっていたころに培ったコネクションでライブサポー
トや、レコーディングサポートの仕事を受け小遣い程度のお
金を稼いで。

DTMも勉強して作曲をし、同人活動やらに手を出してみたけ
れど、これは ほんとうに自分のやりたかったことだったのか
と考えると辛くなった。

バイト生活は未だに脱却できないし、事務的にギターを弾い
ても楽しくない毎日で27歳の今に至る。

それでもやっぱり、いつかバンドで活躍したいという気持ち
が捨てられないのはなんでなんだろうな。

おわりです。3時間も書いてたのか。
読んでくれた人はありがとう。

これを書こうと思ったのは昨日部屋を掃除してたらバンドで
活動してた時のCDが出てきて色々思い出してしまったからです。

Rくんは今でもたまに連絡取ってる。

別のバンドをやってるらしいけど、あの頃ほどの情熱とか感
動はないみたいなことを話してる。

Aくんは連絡取ってないけど、この前スタジオにおいてあっ
たパンフレットに彼の新しいバンドの紹介が載ってた。

音楽的な才能が一番あったのはAくんだと思う。
Uさんとも連絡はとってないけど、Rくんから聞いた話だと
Twitterがメンヘラ過ぎてヤバいらしい。

同人といえばボカロ曲作ってたけど
ニコニコの再生数ってコネと工作しないと
伸びないって気付いた時に激萎えしたよ。
クソつまんねー界隈だなって思った。

実家にはしばらく帰ってないな。
たまに母親からは連絡来るよ、「体に気をつけて頑張っ
て」って


音楽やってるとはいってるけどバンド辞めたってまだ言
えないでいる。

昔っからプライドばっかが高いからどうしても諦めらん
ないんだよな。


無意識に俺はここで終わるような人間じゃないって自分
に言い聞かせちゃってんだ絶対。

学生の頃はハードロックばっかで、
メロコア始めてからメタルとかハードコアパンクも聴き
始めた。

仕事によってはいろんなジャンルやることになるし、
極端に嫌いじゃなければなんでも聞いちゃうな。
パヒュームが出てきた頃は相当ハマってた。

最近はアニソンとか、あとアイドルポップも好き。
ポストロックとかアンビエント系も好き。

スクリーモがマイブームだった時には
スクリーモ作ってたし
UKハードコアとかテクノも作ってたし
結局何がしたいの?って自分で
考えちゃうと辛くなるから程々に色々と

 

バイトが月12万くらい
音楽系の仕事で月2〜5万くらいかな


エロゲーのBGM書いた時は何曲書いたか忘れたけど15万くら
いもらったけど少ない月は結局ジリ貧で楽器売ったり漫画売っ
たりしてたな

 

まあそんなこんなで見てくれた人たちはありがとう。

バンドやってる人たちはマジで大変だろうけど頑張ってくれ。

今日もバイトなのでそろそろ。適当に落としておいて下さい。

 

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taka:

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