2024/06/08
211: 199 2015/11/22(日)18:49:37 ID:???
そこから先は楽しい事も辛い事もありました。
夜間に娘が高熱を出したときは課長に車に乗せられて救急病院まで行ったりもしました。
幼稚園に入るころには仕事のペースを掴める様になり定時で上がらせて頂き幼稚園へお迎え、夕食後に一緒にお風呂に入って寝かしつけてから家事をこなして残った仕事を少しでも片付けてました。
でも全然辛くないんですよね、娘の為なら頑張れるって父親の心境でした。
この頃には同僚も何人かは結婚して社宅に入っていまして、仕事面で助けて頂き本当に感謝しました。
休みの日なんかは一緒に買い物に行き、服を買いましたが
子供服って結構いい値段するのですよね、非常に驚きました。
課長ご家族にも娘さんが2人いまして、娘の遊び相手をして頂きました。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と言ってよく後ろについていったのを覚えています。
この頃、娘に一度だけ聞かれましたね、「何故私にお母さんはいないの?」と。
遂に来たかと思いながらも誤魔化しましたね、ママは小さい時にお空に帰ったのだと。
実際には私は付き合った女性が居なくて、結婚すらしていませんでしたから。
娘に嘘を付かなければならないのが辛かったです。
それでも月日が経ち、小学校に入学した時は赤いランドセルを背負った娘をみて号泣しましたね。
この頃には課長奥様に料理のイロハを完全に叩き込まれましたから、
食事に関しては助けがなくても大丈夫になりました。
娘が小学校6年生の時に課長が部長へと昇進し、私の指導員に当たる方が課長になりました。
この時部長宅でお祝いをしたのですが、娘と一緒に手作りのケーキを作って送ったところ
部長が大泣きして大変でしたね。