2024/06/08
年配組は毎日私達若い組の悪口を言っていた。
聞こえてるし、子どもたちも察してるし最悪だった。
私は年少組の担任をしていたが、同じ年少組の主任が一番怖かった。
慣れない一年目を指導する感じでは無く、怒鳴り散らしながら何から何まで指摘してきた。
また、定時は17時だったが日付をまたいでも帰れないのは当たり前、
一年目は朝6時半出勤が暗黙の了解となっていた。
残業や朝早く出勤するのは幼稚園では当たり前と聞いていたので、
なんとか我慢し、罵詈雑言も耐えて半年が過ぎた。
362: 名無しさん 2014/04/11(金)12:45:34 ID:qjKHkChMF
この頃には私の体重が51キロから42キロに減少、同期三人もやつれていた。
日付をまたいで帰宅すれば、20代の大人が情けないと思われるかもしれないが、わんわん泣いていた。
夜が明ければまた出勤、陰口罵詈雑言の嵐、モンペの相手。
行きたくない行きたくないと涙が止まらなかった。
ある日、同期の一人が無断欠席。とうとう壊れてしまった。
私はあんなに子ども好きだったのに愛情の欠片も残っていなくて、
ひたすら年配組の脅威に怯えていた。
結局、私は10月という中途半端な時期に退職した。他の同期もそのあとに退職したらしい。