2024/06/08
「私、この男とその口車にのったおたくの病院の看護師達に昏睡状態の間に無理矢理行為されたの。
それだけだったら良かったわ。そのテープを売られたのよ。
挙句に、何も知らない両親は、この男達の偽のシュウキョウ団体に、三億円も騙し取られて、こいつらはそれを遊びに使ったわ。
私が転院するの、この男達はずいぶん反対したんじゃない?
そうよ。真実が発覚するのを恐れて、私の時間をさらに無駄にしたんだわ。
これが許せないから、この病院のスタッフ全員路頭に迷わせるつもり。
私に異常者のレッテルを貼って監禁する?
それとも私と交渉して病院が無事に済む方法を一緒に考える?」
院長はがくがくと震えだした。横にいた副院長がそれを支えた。
院長の目は真っ青になったAとそのお仲間たちに注がれた。
その態度が、混ぜておいた一部の嘘すら、本当に変えてくれた。
病院は、この件に関わったスタッフ全員を、大幅に減俸した上で
私に毎月、十分な額の慰謝料を入れてくれている。
合計しても三億には満たないが、毎月五十万円を二十年もいれてもらえるのだ。
大学に行き直すことも出来る。どこにいくにも、完全に自由。
N様は私が、復讐心によって生きていることを理解した上で、正常だといってくれた。
そのおかげで退院できたのだ。
270: 9 2011/06/30(木) 16:23:24.79 ID:Vn9h8hXS0
退院してすぐに、○○学校の事件のことを調べはじめた。
すると、ずいぶん画質が荒いが、その当時の私が出ている
輪カンもののハングル字幕つきの映像がネットで見つかった。
私はその映像を配給していたらしい会社が日本の会社だったことをつきとめた。
そこから当時の社長を探り当て、会社を解散したときの、権利などの引受先をたぐり。
情報隠匿を試みる者を、時に御家族の名前を列記したメモを御覧にいれるなどして、首を縦にふらせた。
そして32歳のバースデーから三ヶ月ほどたった日に、マスターテープを入手した。
子供のハンザイだから、マスターテープには何の手も加えられていなかった。
いまどきVHSデッキを買うのはバカバカしかったが、その中には犯人たちの一部の顔が頻繁にうつっていた。
何本にも渡るその映像に二十数人の少年達が出てきて。
当時の私は一本目が終わる頃には、もう息をするだけの人形になっていた。
ショックは少なかったように思う。こんなものよりひどい目にあった。
一過性の無理やり行為で済むなら、今なら笑って許せる。
正常な思考のままで、隔離病棟に入れられる辛さに比べたら、目の前の映像は大したことがなかった。
私はこのテープを持ってある場所にいった。
Aが無理やり行為のビデオを売った映像製作会社は私を暖かく迎えてくれた。
歓迎しないと何をされるかわからないからだと思う。
私は彼らに私の学生時代の輪カンテープを見せた上で
その画像を解析してより鮮明な犯人たちの画像をつくるように依頼した。
報酬は300万円の十回分割払い。こちらから言い出すとあちらはすごく驚いた。
秘密を握られているからタダ働きさせられると思い込んでいたようだ。
こうして私は、私の人生が完全に崩れ去った原因のうち何人かの顔を手に入れた。
両親にそれを見せた上で、当時両親が戦った○○学校の名称を教えてもらった。
○○学校には、大規模ハンザイを起こした学年には、卒業名簿をつくらないという決まりがあるようだったが。
起こす前に発行された、学級名簿の入手は、一年ほどかけて達成できた。
ほどなく、修学旅行の記念アルバムなども手に入り、氏名と顔が一致できる態勢が整った。
私は、恨むどころか、いっそ愛しい連中のことを知った。
このころになると私は消えていた輪カンの時の記憶も蘇ってきていた。
272: 9 2011/06/30(木) 16:29:29.69 ID:Vn9h8hXS0
私がターゲットに絞り込んだのは、輪カンの最中最も優しく。
拉致するときに仲間を引きとめようとしていた人物だ。K君としよう。
彼のご両親は名簿の電話番号を今もつかっていらしたので、旧友を装い、携帯を聞き出した。
携帯電話にかけた私は彼に素直に身分を明かした。
彼は何度か電話をすぐにきったが、やがて、面会することを承知してくれた。
私は、彼に一つの依頼をした。
こちらで把握してない犯人たちのうち、特に私に酷い真似をしでかしていた連中はどうしても許せない。
彼らを特定するための協力がどうしても必要だった。
私は私が陥った地獄の日々を彼に語って聞かせた。
彼は、色々と条件をつけたが、最終的には協力を約束してくれた。